パンダ記念日 ~かわゆいひん☆ダイアリー
『えっとぉ…こっちの端には葉物を植えて~、水菜にレタス、ルッコラも植えたらお洒落なサラダが作れるし♪ ここはトマト、こっちはハーブ♪』
白浜の晩夏の日差しが降り注ぐ野外運動場の芝生の上、まん丸なお尻がぴょこぴょこ揺れています。
浜家のアイドル、結浜が独り言を言いながらしゃがみ込み、熱心に地面を掘っているのでした。
『よし! 計画は万全! がんばるぞ~!』
可愛いお顔に土をつけて、ひまわりの花のような明るい笑顔が咲きました。
その翌日。
『結浜! あんた、お父ちゃんに何やらせたん?! 永明さん腰が痛い言うて寝込んではるやないの…うわっ! なんや、この庭!! 』
文句を言いながら庭に顔を出した良浜は、目の前に広がる光景に声を上げました。
そこにあったのは、庭の半分を占める大きな畑。
芝生は剥がされ、新たに運んだのか栄養の良さそうな黒い土が畝を作っています。
『えへへ、いいでしょ~♪ 岸くんの真似して農作業することにしたの! 岸くん最近テレビの “てつわん☆ダッチュ” で野菜作りしてるでしょ?
みんなにもサラダご馳走するね!』
『サラダはええけど、この前マッシュルームの栽培小屋も永明さんに作らせたばかりやないの。ここはダッチュ村☆白浜出張所か』
『岸くんがマッシュルームも作ってたんやもん。それに結、岸くんの目に止まる美パンダになりたいの。
頭のピコンは毎日トリートメントして、朝ヨガがんばって、サラダ食べてダイエットするの。
だって今は結、岸くんと同じくらいの体重なんやもの (岸くんとの体重比1.92倍)』
『竹食べてるのが一番カロリー低い気がするねんけどな。…はぁ、これは結が畑仕事に飽きるまで、永明さんは手伝わされて腰痛が治らへんやろな…』
『だって~、岸くんの真似したい~! ねぇ畑作ってもいいでしょ、お母ちゃん~!』
『まぁ、永明さんがええと言うたんならええけどな』
やったー! と飛び跳ねる結浜と、肩をすくめるラウママを遠くから眺めながら
「…えっと…経営側の許可は取ってくれないのかな…必要ないかな…そっか…ハハハ…」
掘り返された野外運動場を見て力なく笑うパークの社長さんの姿があったのでした。
でも、結局は何をしても許されてしまうのです。
だって結浜は最強の「かわゆいひん♪」なのですから。
『えへへ♪ 今日も畑は順調です…っと』
ピンクの表紙にリボンがついた可愛い日記帳に色鉛筆で畑の絵を描いて、結浜はにっこりしました。
月も変わって9月に入り、少し日差しも和らいで、今、畑の畝には結浜が丹精込めたルッコラやレタスの可愛い苗が並んでいます。
普段はアイドルに熱を上げる乙女な結浜ですが、首にタオル巻いてクワを振り上げ、野良仕事に励む姿も妙に似合うのでした。
『さぁ、お水をあげましょう』
張り切ってバケツを下げて運動場の堀に降り、鉄板の下に隠してある水道の元栓を探ってドバーーッと水を出すと、
「こぉらーーー! 結浜、水道の元栓開けるならちゃんと閉めなさーーい!!」
という飼育員さんの声をよそに、水汲みをして上がってきた結浜は、畑に遊びに来ていたピキとプルがしゃがんで楽しそうに歌っているのに気づきました。
ピキ&プル『いーもーむーしーゴーロゴロ♪ いーもーむーしーゴーロゴロ♪ キャッキャッ』
『えー、2人でお歌うたってるの? いもむしゴロゴロって……きゃーーーーっっ!! イモムシゴロゴローーーーーーッッ!!!!』
絶叫して走り出し、腰痛で寝ている永明さんを踏ん付けてバックヤードの端まで逃げた結浜は、戻ってきた時には園芸用殺虫剤を持っていました。
そうです。結浜が育てたルッコラにはレースのような穴が開き、小さな緑のイモムシ達がたくさんついていたのでした。
ピキとプルの2人は飛び上がりました。
『いやでちゅ! いもむししゃんがかわいちょうでちゅ! エーンエーン』
『ピギャーーーーッッ!! 結ねぇ、それはあんまりや! イモムシだって生きているんや! オケラだってミミズだってみんなみんな友達なんや! 助けてやって!! キュンキュン』
思わず赤ちゃん鳴きでキュンキュン鳴いてしまうピキでした。
『そ、そんなこと言ったって…イモムシ気持ち悪いし、ルッコラちょっとしか植えてないのに10匹くらいいるし、すぐに食べ尽してどっちにしてもこれ以上育たないよ…』
結浜は途方に暮れて立ち尽くします。
と、そこへ騒ぎを聞きつけて良浜と永明さんが出てきました。
『ほらプル子、ええから乳でもお飲み。ピキも泣くのはやめや』
『結、なんならそのイモムシ、飼ってやったらどうやろ。そしたら畑の野菜もこれ以上食われへんし、イモムシも生きられるやろ』
永明さんが腰をさすりながら優しく提案しました。
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『グスッ…お願い、結ねぇ…イモムシの生活費はうちが稼ぐから』抱きついた良浜のお腹の毛で涙を拭くピキが言うと、
『ヒック…ンク…ンク…プハッ、おねがいでちゅプルプル』泣きながらお乳を飲んだプルもすがるような顔をします。
『…う、うん…ちょっと…考えてみる…』
結浜は困った顔でそう答えました。
結浜は日が暮れるまで畑のそばにしゃがんでイモムシを眺めていました。
イモムシたちはせっせとルッコラの葉を食べ、このままでは数日も持たずになくなりそうです。でも、そこらの草むらでは生きていけないでしょう。
ピキとプルは泣き疲れたのか隣でころんころんと転がって眠っています。
結浜は首のタオルを取って、妹たちのお腹にかけてあげました。そして深いため息をつきました。
しょんぼりとうつむく頭のピコンととがったアンテナから、結浜の悩む気持ちが電波になってパーク中に広がって行きます。
ピピピ……ピピピ……コマッタナーーーコマッタナーーーイモムシナンテ ソダテラレルカシラーーーーデモデモーーーーキシクンダッタラ ドウスルカシラーーーーー
ふと、誰かの気配を感じて結浜は顔を上げました。
すると、そこにはたくさんの草食と雑食の動物達が立っていました。
みんな手に手に自分達の餌の野菜を持って集まっているのです。
うさぎが言います。『結浜ちゃん、イモムシを飼うなら餌を分けてあげるよ。キャベツ持ってきたよ』
お猿が言います。『ぼくたちも毎日持ってきてあげる』
白熊が言います。『ぼくも野菜は食べるんだ。小松菜はどうかな?』
『えっ…みんな…結のために自分たちのご飯、持ってきてくれたの…?』
結浜は感動して、手を口に当ててフリーズしました。
かわゆい結浜は、やっぱりみんなの人気者なのです。
そして肩に置かれた手に振り返ると、桜浜と桃浜が微笑んでいました。
『あのね結、私達パソコンで調べたの。そのイモムシはアブラナ科の野菜を食べるのよ』
『簡単に飼育できるそうよ。結ならきっと大丈夫』
結浜はしばらく考えていました。イモムシはやっぱりちょっと気持ち悪いし、自信はありません。でも…
『…育ててみる。だってみんなが励ましてくれたんやもん』
その言葉にみんな拍手を送り、目を覚ましたピキとプルが結浜に抱きつきました。
その夜、結浜ダイアリーには、ちょっと可愛く美化したイモムシの絵が描かれたのでした。
翌日の朝。
イモムシ達は、キャッキャ喜びながらのピキプルと、『いやー、お父ちゃんちっさい虫はよう見えへんわ~』と言いながらの永明さんが捕まえてくれて、無事に畑のルッコラの葉からプラスティックの虫籠ケースに引っ越しました。
とりあえず名前だけでも可愛く呼ぼうと、結浜は10匹いるイモムシ達を「イモちゃん」と名付けました。
最初はおそるおそるケースを開けてはキャベツや小松菜を放り込み、パッとふたを閉めて目をつぶっていた結浜でしたが、数日たつうちに少し慣れてきて、ケースの中を観察する余裕が出てきました。
キャベツをモリモリと食べているイモちゃんの食欲旺盛な様子を、結浜の丸い目が、じーーーっと見つめます。
『ケースの底にいっぱいフンが落ちてるし、古くなった葉もあるから…お掃除した方がいいのかな…』
結浜は蓋を開け、そーっとそーっと手を入れて古いキャベツの葉を取り出しました。
それから思い切ってイモちゃん達が乗っている葉もすべて取り出し、ケースの底をティッシュで拭いてきれいにして、全部をケースに戻すと、ふーーーっ、と大きなため息をつきました。
しばらくして新しいキャベツを入れようとケースをのぞくと、一匹のイモちゃんがぴょこん、と顔を持ち上げてこちらを見ていました。
まるで結浜がお世話してくれているのを知ってるかのようにまっすぐに顔を向けています。
『あ…なんか…イモちゃんの正面顔って…かわいいかも』
結浜とイモちゃんは、ケース越しにじーーーっと見つめ合います。
見つめ合いながら、結浜は新しいキャベツをケースに入れました。
すると、イモちゃんがぺこりとおじぎをした…ように結浜には見えたのです。
『あ…イモちゃん、意外と感謝してくれてるのかも』
そう思うと、なんとなく胸がふわっと暖かくなるようでした。
『なぁなぁ結ねぇ、イモちゃんは決まった葉っぱしか食べへんのやろ? グルメで嫌いなものは絶対食べへん結ねぇに似てるやね』
『ゆいねぇねは、いもちゃんのおかあちゃんでちゅ、プルプル』
いつの間にかそばで見ていたピキプルの2人にそう言われ、エヘヘと笑った結浜でした。
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それからは結浜にはイモちゃんを気持ち悪いと思う気持ちがなくなり、お世話が楽しくなってゆきました。
毎日、新鮮なキャベツや小松菜を食べさせて、
『へぇ…小松菜を食べた時と、キャベツではフンの色が違うんやわ。小松菜は緑で、キャベツは黄緑のコロコロや。ちょっと面白いかも♪』
そうつぶやいてニコニコする後ろで、
「質問でーす! パンダのうんちは何色なんですか?」
「はい、パンダのうんちは、食べたものによって変わります。今は竹の幹をよく食べているので、うんちは黄緑が多いですねー」
「わぁ、おもしろーい♪」
と飼育員さんと観覧のお子さん達との会話が交わされていることは気が付かない結浜でした。
10匹のイモちゃん達はすくすくと育ち、何度も脱皮を繰り返して大きくなってゆきます。
畑の野菜もすくすく育ち、毎日、あっちもこっちもとお世話に忙しい結浜です。
『イモちゃん、今日は結が畑で作ったルッコラあげるね。みんなルッコラ好きでしょ』
掃除が済んだケースに濃い緑の美味しそうなルッコラの葉を入れてやると、イモちゃん達はもりもりと食べています。
『好きなものはいっぱい食べて、どんどん大きくなるんやねー。えへへ、やっぱりイモちゃん、結に似てるかも』
大事そうにケースを抱えて、結浜は優しい目でイモちゃん達を見守ります。
『みんな、結が大切に育てるからね。結が守ってあげるからね。安心して大きくなってね』
ピンクの表紙の日記帳にはイモちゃん達の成長の様子が次々と描かれ、どの葉っぱをどれくらい食べたかとか、どんな色のうんちをしたかとか、入れておいた小枝の上で遊んでいたとか、愛情たっぷりの記録が続きます。
最初は怖かったイモちゃんが、今ではプニプニとして元気いっぱいにご飯を食べる可愛い子供たちに見えている結浜なのでした。
結浜がイモちゃん達を育て始めて10日ほど経ったでしょうか。
ある日、結浜は一匹のイモちゃんがケースの壁にくっついて長く伸び、動かないのに気づきました。
『疲れて休んでるのかな? 後でまた様子を見にくるね』
しばらくして来てみても、やはりまったく動きません。それどころか、体の端がなんだか黒ずんでいるように見えるのです。
結浜の目に、みるみる涙が盛り上がりました。
『イモちゃん…そんな…まさか………やだ、イモちゃんが、しんじゃっ……うわぁぁぁ~~ん!!』
ケースを抱きしめて泣く結浜に両親が駆けつけ、連絡を受けたパンダラブの三人も慌てて飛んできました。
『結、泣かんでもええよ。何が起きてるのか、今調べてみるから』
桜浜がテキパキとノートパソコンを操り、検索します。そして頷くと、結浜の顔を覗き込んで優しく涙を拭ってやりました。
『あのな、結。イモちゃんはちゃんと生きてるよ。でもこれからが大事な所やねん。そっとして、一晩待ってごらん。明日にはどうなったかはっきりするはずや』
その夜、結浜は泣きながら寝床に入りました。
イモちゃんのことを思うと気が気ではなく、おリボン柄のお布団をぎゅっと握りしめて泣く泣く眠りにつきました。
やはりイモちゃんが心配なピキプルの2人が、ぴったりと両脇に寄り添って眠ります。
朝になり、虫ケースの前に飛んで行った結浜達が見たものは…
『これ…さなぎ、なの…?』
そうです。プニプニしていたイモちゃんはすっかり姿を変え、薄緑色の固く角ばった姿のさなぎになってケースの壁に糸で張り付いていたのでした。
『わぁ、これ、さなぎって言うん? 不思議な形やなぁ』
『あたまにツノがあるでちゅ、プルプル』
驚いて見とれている3人の後ろから、にこやかに桜浜と桃浜が覗き込みました。
『そうや、さなぎや。これで1週間から10日くらいで羽化するはずや。これから他の子も次々とさなぎになるよ』
『見てごらん、さなぎの頭。結とお揃いのピコンがあるね』
本当に、さなぎの頭には結浜によく似たピコンととがった部分があるのでした。
『やっぱり、ゆいねぇねは、いもちゃんのおかあちゃんでちゅ』
プルにそう言われ、ピコンを押さえてまたエヘヘと笑った結浜でした。
桜浜桃浜が言う通り、イモちゃん達は次々とさなぎになっていきました。
みんな薄緑色の頭にピコンを立てて、ケースの壁や蓋の裏に糸をかけてしっかりとくっついています。
10匹全部がさなぎになり、もうお世話をする必要もなくなったのですが、結浜は心配で毎日何度も何度もケースを覗き込みます。
『はぁ…何もすることがなくなって、かえって心配になっちゃった。もう一週間以上になる…みんな無事かなぁ…何も食べなくてお腹すいてないかな…』
ケースに鼻をくっつけて見ている結浜の両脇から、ピキプルの2人も覗きます。
『なぁ結ねぇ、この子たちってチョウチョになるんやろ? それとも蛾やろか?』
『がでちゅか? ちょうちょでちゅか? プルプル』
『えー、蛾なのかなぁ…分かんないけど…でも無事に孵ってくれるなら何でもいい。みんな頑張ってね…』
ぎゅっと目をつぶって手を合わせ、祈る結浜でした。ピキプルも一緒に手を合わせます。
と、その時です。
一番最初にさなぎになったイモちゃんが、かすかに揺れたような気がしました。
気のせいかと目をこすってみましたが、やはり揺れています。結浜は息を飲みました。
羽化の始まりでした。
『きゃーーーーっっ!! イモちゃんがイモちゃんが!! 写真撮らなきゃ!! 動画も~!!』
叫びながら結浜は庭を駆け抜け、腰痛で寝ている永明さんを踏ん付けてスマホを取ってきて構えました。
さなぎは、ゆっくりとゆっくりと割れてゆきました。
割れ目から黒い背中が覗き、小さな白い羽が少しずつ少しずつ見え始めました。
やがて細い脚が必死にさなぎの殻を掴んで踏ん張り、ゆっくりと体を引き抜いてゆきます。
そして最初はくしゃくしゃだった黒い斑点のある白い羽が静かに伸び、しなやかに広がってゆくのでした。
『ああ…イモちゃん…頑張ったね、良かったね。とっても綺麗よ…』
結浜はもうスマホを構えていられなくなって、涙ぐみながらイモちゃん…いえ、今は美しいモンシロチョウになった我が子にささやきかけます。
『可愛いなぁ…モンシロチョウやったんや』
『かわいいでちゅ。はねがパタパタしてまちゅプルプル』
ピキプルの2人も感動で目が潤んでいます。
9月の爽やかな朝の光の中で羽化したモンシロチョウ。
結浜が育てた子は、今、小さな体にいっぱい希望を詰めて大人になったのでした。
その日は三匹のイモちゃん達が蝶になりました。
結浜はすぐに天気予報を見ました。天気が悪い日に蝶々を外に放すことはできないからです。
すると、二日後に台風が来る可能性があることが分かりました。
『大変! 台風なんか来たら、この子達が飛ばされちゃう! しばらく部屋の中にいてもらわなきゃ。でも…きっとお腹すいてるよね』
蝶になったイモちゃんは、もうルッコラは食べないでしょう。
桜浜桃浜に相談すると、すぐに調べてくれました。モンシロチョウの餌は花の蜜。つまり、蜂蜜なのです。
結浜は自分のおやつの蜂蜜を水で薄め、飼育員さんにもらったガーゼに浸して、そっとケースに入れました。
蝶のそばに蜜を含んだガーゼを置いてやると、前足で確かめるように踏み、それから、くるくると巻いたストローのような口を伸ばして吸い始めたのです。
『わぁ、おりこうさん! ちゃんと蜜を吸ってる!』
『蝶々もうちらと同じ、蜂蜜が好きなんや!』
『はちみつおいしいでちゅね、プルプル』
ピキプルの2人も声を弾ませ、
『結が育てたから、結がくれるものは食べられるものだって分かってるのかもね。良かったね』
桜浜と桃浜もそう笑って、結浜の顔は嬉しさにぽうっとピンク色になりました。
翌日にもまた何匹か羽化して蝶になり、そして次の日、ついに和歌山を台風が襲いました。
『みんな! 大丈夫だからね! 結が守ってあげるから安心して!』
残ったさなぎがいる小さなケースと、蝶になった子たちを入れた大きなケースを、結浜はブリーディングセンターの室内で身を盾にするように抱きかかえてうずくまりました。
窓が風でガタガタと音を立て、雨は激しく屋根を叩きます。
結浜の胸の中で、モンシロチョウ達は大人しく羽を閉じてケースの壁や足場の小枝に止まっています。
それはまるで安心して母の胸にすがっている子供のようでした。
『なんや、ほんまに蝶々のお母さんになったみたいやなぁ。そういや結浜が生まれてすぐに、大きな台風が来たっけ。ちょうど今頃の時期や。嵐を呼ぶピコンやな』
プルを抱っこしながら、良浜ママはそう言って結浜を眺めて微笑みます。ラウママの胸にも、結浜が小さかった頃の記憶がよぎったようでした。
そしてその日。
台風が過ぎ去った頃、結浜が抱きしめていたケースの中で、最後のさなぎが無事に羽化したのでした。
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台風一過の晴れ渡った9月の青空が、結浜のピコンの上に広がっています。
10匹のイモちゃん達は、無事に美しいモンシロチョウになりました。
天気予報は晴れマークが続き、いよいよ蝶々たちを独り立ちさせる日が来たのです。
結浜は寂しさと嬉しさが混ざったような複雑な気持ちで、ケースを抱いて野外運動場の芝生の上に立っていました。
ピキプルの2人も神妙な表情でそばに立っています。
『…みんな、元気でね。遠くに行っても結のこと忘れないでね。いっぱいお空を飛んで、お花の蜜を吸って、恋をして、卵を産んでね。
きっと幸せに暮らしてね。みんなが幸せでいてくれたら、会えなくなっても、結も幸せだよ』
それはまるで、我が子を独り立ちさせる母の心境でした。
この同じブリーディングセンターの芝生の上で、いつか梅梅が、良浜が、同じような言葉を何度も胸につぶやいたことは、結浜は気付いてはいなかったけれど。
『卵を産みたくなったら、また結の畑に来てもいいよ。みんなの子供は、結が何度でも育ててあげる。…じゃあ、元気でね』
そう言って結浜は、ケースの蓋を開けました。
ひらり、ひらりと白い蝶が舞い上がりました。
どの蝶もすぐには高い空には上って行かずに、まるで名残を惜しむように結浜の周りをふわふわと飛び回り、そして徐々に高度を上げていきます。
最後の一匹が結浜の鼻に止まり、ゆっくりと羽を広げました。
~ かわゆいひんおかあさん、そだててくれてありがとう。わたしたちはげんきにはばたきます。みんなおかあさんのおかげです… ~
そんな声が聞こえたような気がしました。いえ、本当に聞こえているのかもしれません。
蝶たちの羽ばたきから伝わる気持ちが、結浜のピコンで受信されたのかもしれません。
そばで見ているピキプルの2人も目をうるませながら、パフパフパフと拍手をしています。
結浜が育てた10匹のイモちゃん達は、今、美しい蝶になって、青空の彼方に消えてゆきました。
『なぁ、結浜。あんた忘れてるやろ。今日はあんたの誕生日やで』
『結、おめでとうな』
その言葉に、はっと振り向くと、永明と良浜の笑顔が結浜を祝福していました。
『あっ…そっか…イモちゃん達のことばかり考えて、結、お誕生日のこと忘れてた…』
『あはは、結はほんまにイモちゃん達のお母さんになってたんやな』
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『うん…うん…あの、あのな、お父ちゃんお母ちゃん、いつもありがとう! 結をずっと見守ってくれてありがとう!! 2人の気持ち、結にも分かったよ!!』
結浜はそう叫ぶと、永明と良浜に抱きつきました。
イモちゃん達のお母さんになることで、結浜は少し大人になったのかもしれません。
『お父ちゃん、お母ちゃん…大好き!』
胸に染みてくる両親の愛と温もりに、結浜は目を閉じて微笑みました。
~ かわゆいひんおかあさん…わたしたちの、ぼくたちの、だいすきなおかあさん…おたんじょうびおめでとう… ~
そんな祝福の声が青空の彼方からいくつも重なって響いてくるような、幸せな今年の誕生日でした。
『えっと…イモちゃんたちが好きなルッコラとキャベツと小松菜を、畑にたくさん植えました。…っと』
ピンクの表紙の日記帳にそうしたため、可愛い若葉の苗の絵を描くと、結浜は誇らしげにたくさんの野菜が植えられた畑を見渡しました。
9月の優しい陽射しの下で、みずみずしい野菜たちがきらきらと輝くようです。
『これだけ植えればイモちゃんがたくさん生まれても食べ尽くせないくらいあるし、みんなこの畑で暮らしていけるよね。
イモちゃんが食べきれなかったら、結たちのサラダも作れるし♪ えへへ、サラダでダイエットできるかなぁ。…さて、もうひと頑張りしよっと』
そう言うと、結浜は首にタオルを巻いてクワを振り上げ、水を汲み、野良作業に励みました。
遠くで、「ああ…野外運動場の畑がどんどん広がっていく…キノコ小屋まであるし…これはもう第三のパンダ舎を作らなきゃいけないってことか…。ハハハ…予算が…」と弱弱しく嘆く社長さんと、
「ゆいひーーーん!! 水道の元栓開けたら閉めなさーーい!!」と叫ぶ飼育員さんの声は聞こえません。
やがて農作業に疲れた結浜は芝生に寝転び、首のタオルを外して枕にすると、労働の後の気持ち良いお昼寝タイムに入ります。
『むにゃむにゃ……イモちゃん…また…これからも…結が育ててあげる…ね……』
そんな寝言を言う結浜のピコンに、ひらひらと舞い降りてきたモンシロチョウが一匹、ちょこん、と止まりました。
それは可愛い結浜によく似合う、白いリボンのようでした。
おしまい
今昔さん、結ちゃんの可愛くも優しい世界に引き込まれて一気に読んでしまいました
水栓のくだりとか実はあの時結ちゃん畑作業中だったのかななんて考えたりして
梅梅さんの名前が出た時は…思わずウルウルしてしまいました
素敵なお話ありがとうございます
明日またじっくり読み返します
>>879
腰痛永明さん結ねえに踏んづけられたその後大丈夫ですか?w
今昔さん、素敵なお話ありがとうございます!
一気に読みました
みんなの優しさが伝わる良いお話✩
今昔さん、今回も素敵なお話ありがとうございます!
もう結ちゃんが可愛くて可愛くて涙が出ました
以外と野良仕事が似合っちゃう結ちゃんも体重詐称しちゃう結ちゃんも永明さんを何度も踏んづけちゃう結ちゃんも蝶々のおリボンが似合う結ちゃんも本当に可愛い
結ちゃん、きっと将来はいいお母さんになりますね
最後に…アドベンの社長さんガンバ!w
>>882
今昔さん、かわいい結ちゃんとアドベン一家の優しい世界に思いっきり浸りました
素敵なお話をありがとうございます
~~ 注意 ~~
申し訳ありません。
今からお送りする話には、虫さんが出てまいります。
虫が苦手な方は、閲覧にご注意ください…。
…よろしいでしょうか?
それでは、一ヵ月以上遅れましたが、結浜の話を投稿させていただきます。
10レスほど消費すると思われます。のんびり読んでやってくださいね。
今昔