茶館・おしゃべりタンタン ~2月・それぞれの早春
2月の澄んだ夜空に美しい星々が輝いています。
ここは神戸の王子動物園。
たくさんの動物達で賑やかな「ふれあい広場」の端に、その素敵なカフェはありました。
赤い瓦屋根に白い壁、赤い枠に縁取られた窓の向こうには緑の葉の鉢植えのローズマリーがのぞきます。
「茶館・おしゃべりタンタン」は、タンタンが動物園の休園日の水曜に開いているカフェです。
でも今日は水曜日でもなく、時間は夜中。
園内の鳥達も動物達も、みんな静かに夢の中です。
それなのに、このカフェにホッキョクグマのみゆきさんがやってきたのは、こんな時間にお店の窓から灯りが漏れていたから。
『…タンタン、こんな時間に何してるん?』
梅の花の模様の風鈴をちりちりと慣らしてドアを開けたみゆきさんがそう問いかけると、
『お菓子を作ってるなの。もう大忙しなの』
キッチンで振り返ったタンタンは、そう言ってにっこりと笑いました。
『今日は朝からプミちゃんのために、林檎の月餅を作ったなの。
今夜、家族で食べてもらって、明日の飛行機の中でも食べられるようにたくさん作って、林檎の紅茶もポットに入れたなの。
それを上野に送って、一休みしてお昼寝して、今度は浜家の皆さんにもお菓子をどっさり焼いてるなの』
『まぁ、そんなに働いて大丈夫やの? お店もしばらく開けてなかったのに。こんな夜中に灯りがついてるからびっくりしたわ』
『大丈夫なの。久しぶりで楽しかったし、もう全部出来たなの。みゆきさん、ちょっとお味見いかがなの』
心配顔でお店のテーブル席に座ったみゆきさんに、タンタンはにこやかにお盆に満載のきれいなお菓子をすすめました。
みゆきさんが覗き込むと…まぁ、なんて美味しそうなのでしょう。
林檎の餡がぎっしり詰まった月餅の上には「香」の文字が飾られて、暖かな紅茶には鮮やかな赤い林檎が浮かんでいます。
もうひとつのお皿には、竹をかたどった緑のお菓子、ピンクの桜と桃の花をかたどったお菓子が並んでいました。
『こちらは永明さんが最近お気に入りだと聞いた竹粉団子なの。せっかくなので竹の形に作ってみたなの。
お花の形のは桃蜜酥と桜花酥なの。桜餡と桃餡が入ってるなの』
『美味しそう! これは中華のパイなのね。お花の形が綺麗!』
『どれもたくさん作って、引っ越し先のご近所さんにも配れるように包んでおくつもりなの。だから中華風のお菓子にしてみたなの』
『…タンタン、本当に優しいんやね』
みゆきさんは少し涙ぐむような表情をして、それからにっこりしてお菓子をぱくりと食べました。
『最高! やっぱりタンタンの作るお菓子は美味しいわ!』
明るいみゆきさんの声に、タンタンもにっこり笑いました。
3
『本当はがちょうの“おばあちゃん”も一緒に来たそうだったけど、ほら、今、鳥さん達の病気があるでしょう。外に出られないのよ』
みゆきさんはタンタンと向かい合い、お菓子を包むのを手伝いながら悲しそうに言いました。
『そうだったなの。鳥さん達、みんな寂しそうなの。がっちゃんもつゆちゃんも烏骨鶏さん達も…みんなずっと、会えてないなの。
早く病気が収まってほしいなの…』
がちょうの“おばあちゃん”はタンタンのお友達で、いつもはみゆきさんが抱えてお店に連れてきてくれたのでした。
でも今は、鳥達の間に怖い病気が流行っていて、園内の鳥達も安全のためにお家にこもっているのです。
この冬はこの病気のせいで、たくさんの鳥達の命が失われました。
うちの園の仲間が…と、暗い表情をしていた浜家の皆さんのことを思い出して、タンタンはため息をつきました。
『ずーっとずーっと、みんな元気で一緒にいられたらいいなの…』
『本当にねぇ…でも…私達にもいろいろなことがあったねぇ。これからもきっと、いろいろなことがあるんだろうねぇ…』
みゆきさんのため息を聞きながら、タンタンは夕方のさとうきびジュースを持ってきてくれた飼育員さんが言った一言を思い出していました。
「爽爽…本当は故郷に帰りたかった?」
日本にパンダがいる動物園は三つ。
そのうちの二つで、今、大きな動きが出ていました。
そのためにその二つの動物園には毎日大勢の人が訪れ、時に涙で、時に涙をこらえて大好きな存在に別れを告げ、
テレビやマスコミも駆け付けては写真を撮り、映像を流しています。
そんな中、もう一つの園であるここ王子動物園ではスターのタンタンが皆の前に姿を現さなくなって久しく、静かな時間が流れていました。
開園日のパンダのお庭には誰の姿もなく、時を止めたような風景なのでした。
テレビもマスコミも、毎日のように中国に行くパンダ達が過ごしてきた時間を振り返る映像を流します。
望まれて生まれてきた時のこと、日本に来た時のこと、家族で過ごす様子、幸せそうな寝顔…。
それを思い出しながら、タンタンはふと、
『…みんな、たくさんの思い出を持って新しい場所に旅立ってゆくなの。この国で、たくさんの思い出を作ったなの。
そして、タンタンにもたくさんの思い出はあるなの』
そう、つぶやきました。
4
確かにタンタンには、悲しい思い出がいくつもあります。
一緒に日本に来たあの子と離れたこと、そばにいてくれた彼との悲しい別れ、そして成長する姿を見られなかった二人の子供達…。
運命というものがあるのなら、それはひとつの命にひとつ、それぞれの色合いで備わっているものなのでしょうか。
同じ異国に来て、異国で生きてきて、同じパンダであってもその歩んで来た道の景色は本当に違うのです。
長生きをして帰郷するもの、途中で生涯を終えるもの、若い胸に希望を抱いて旅立つもの、生まれてまもなく命を終えるもの…
『それでも、みんな、たくさんの人達に愛されてきたなの。タンタンもたくさん愛された思い出があるなの。それはこれからも続くなの』
みゆきさんは、タンタンの独り言のような言葉に優しく微笑みました。
『本当にね。タンタンは愛されてるね。みんなタンタンを一番に考えてるもの』
『そうなの。今はお客さん達とは会ってないけど、休園日にはお庭をお散歩するなの。
そして開園日には外に出る扉を開けて、その近くに幕を張ってもらってるなの。だからお部屋で寝ててもお日様の光が入って気持ちいいなの。
時々、幕の向こうにお客さん達の気配がするけど、みんな静かにしてくれるなの。安心してお昼寝してるなの』
『みんな、静かに見守ってくれてるんだねぇ』
タンタンは頷きました。
大勢の人が別れを惜しんで涙を流してくれるのも、黙って幸せを祈ってくれるのも、見えない場所で見守ってくれるのも、
それも全て愛なのだと、幸せなのだとタンタンは知っているのです。
そして…例え短い間でも、愛する存在に出会えたことも。
タンタンは立ち上がり、窓辺のローズマリーの鉢の隣にお菓子の包みを3つ置きました。
『みんな、幸せな時間を過ごしたなの。思い出いっぱいなの』
目を閉じれば、タンタンの背中をふわりと暖かい風が撫でてゆきます。
それは懐かしい家族の気配を乗せた風。
タンタンには、自分の肩を抱く優しい彼と、鉢植えのローズマリーの枝の上ではしゃぎながらタンタンのお菓子を食べる二人の可愛い子供達の存在が、ちゃんとわかっているのです。
5
お店の壁にかけられたアンティークの鳩時計が10回鳴って、みゆきさんは席を立ちました。
『タンタン、今夜はもうお手伝いすることはないかしら? だったらもう寝ましょう。体を大事にしなきゃ』
『もうお菓子も全部できたから、朝になったら和歌山に送るだけなの。お手伝いしてくれてありがとうなの。おやすみなさいなの。タンタンは、今夜はここで寝るなの』
『そう。おやすみなさい、タンタン。…あのね』
みゆきさんは大きな体をかがめて、優しくタンタンを抱擁しました。
『ありがとう、タンタン。ここにいてくれてありがとう』
タンタンは目を閉じ、みゆきさんをぎゅっと抱きしめ返しました。
『タンタンもありがとうなの。みゆきさんと一緒に居られて、みんなと一緒に居られて、タンタンは嬉しいなの』
~ あなたが、ただそこにいてくれるだけで嬉しい ~
みゆきさんを見送り、お店のポーチから見上げれば、そんなたくさんの人達の思いが夜空から降ってくるようです。
吹く風はまだ冷たいけれど、ほんの少しだけ春の匂いを包んでいます。
別れの春は、いつかまた出会える春。そう信じていれば。
~ あなたがどこにいても、元気でいてくれたらそれだけで嬉しい ~
今夜、たくさんの人達が夜空を見上げながらつぶやいているのでしょう。
明日、あの空を、あの子を運ぶ飛行機が横切るのでしょう。
その翌日、あのひととあの子達を運ぶ飛行機が飛ぶのでしょう。
『みんな、みんな、幸せに…なの』
2月の夜風に乗せるように、タンタンがつぶやいた祈り。その願いはきっと叶うはずなのです。
だって、誰もがパンダを愛してる。
世界は、パンダを愛してるから。
おしまい
>>435-436,438-440
タンタンさん、旅立つみんなのために夜なべしてお菓子作りを…。・(つд`。)・。
プミちゃんもタンタンさん特製の林檎の月餅と紅茶を飛行機の中で美味しくいただいたことと思います
歩んできた道の景色は本当にそれぞれで、でもどのパンダさんたちもとてもとても愛おしい
今昔さん、プミちゃんの旅立ちの日に素敵なお話をありがとうございました