週刊PAARA①
『シャンシャンが帰ってきた』
2017年6月12日、上野動物園に待望の女の赤ちゃんが生まれた。その赤ちゃんは生後100日目にシャンシャンと名付けられた。日本中の人々が彼女の成長をわが子のように見守り、すくすく成長していく姿に目を細めた。
しかし別れはやがてやってきた。当初の予定より遅れたが2021年、彼女は中国へと旅立っていった。上野のアイドルの旅立ちを多くの人々が涙を流し見送った。いつか母になることを願いながら。
あれから9年の月日が流れた。ついに彼女が日本に帰ってきた。
彼女の母親のシンコママ(24歳)から帰ってきたと連絡を受けた記者は、はやる気持ちをおさえ、タクシーでスナックシンコへと急いだ。
週刊PAARA②
シャンシャンさん(12歳)と記者は幼なじみだ。シャンシャンさんの方が1つ年上だったが、親友であり、どちらかというと記者の方が姉のような振る舞いをしていた記憶がある。
シャンシャンさんとの思い出を振り返っていると、いつの間にか目的地が見えてきた。ドキドキする胸の高鳴りを感じながら、タクシーを降りた。
そっとスナックシンコのドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
声がする方を見た。シンコママがカウンターにいた。記者はシャンシャンさんを探してキョロキョロする。
「うふふふ、ピキしゃん私よ」
シンコママが言った。いや、目の前の女性をシンコママだと思っていた。
「私がシャンシャンよ」
よく見ると、ふくよかな体型だがシンコママよりも若干細く、顔もシンコママにそっくりだが頭が平らな特徴があった。
「シャンシャンさん……プミしゃん‼」
シャンシャンさんと記者はお互いの手を取り合い、9年ぶりの再会に涙を流した。そしてお互いをプミしゃん、ピキしゃんと子供のころの愛称で呼びあった。
週刊PAARA③
シャンシャンさんは取材日の3日前、ご主人と共に日本に帰国した。久しぶりに聞く日本語に初日は戸惑ったそうだが、翌日には日本語を思い出し、今はもう完璧だ。シャンシャンさんに中国へ旅立ったときの心境、そして中国での暮らしぶりを聞いた。
「私ね、3歳になってすぐくらいかなぁ。両親に年末に中国に行くんだって初めて聞いたの。
最初は旅行かな?楽しいだろうなって思ったんだけど、母が旅行ではなく一人で向こうに行って、ずっと向こうで暮らすんだって言われて、頭が混乱して、しばらくはずっとふさぎ込んでたの。
笹を振り回したり、でんぐり返ししたり、木に八つ当たりしたりしても心は沈んだまま。でもしばらくしてピキしゃんが遊びにきて、こう言ったの」
シャンシャンさんはいたずらっぽく笑った。
「向こうに行ったって一人じゃない、必ず支えてくれる人がいる。遠い地からプミしゃんを想ってくれる人がいるって」
シャンシャンさんに言った言葉を思い出した。確かにそんな風なことを言った。記者の記憶にはその言葉を聞いたときの泣きそうな幼いシャンシャンさんの顔が浮かんでいた。
週刊PAARA④
「園を出るとき、トラックの中にいたけど多くの人の声が聞こえた。
『頑張れー』『元気でね』『いつか必ず帰ってこいよ』
さまざまな声が聞こえてきて、私はトラックの中で泣いてしまった。
中国に着いて、不安で怖くて落ち込んでても、みんなのその声が聞こえてくるの。その中にピキしゃんに言われた言葉もあったんだよ」
「頑張ったんだね、私が想像出来ないくらい頑張ったんだね」
そう言った記者の言葉にシャンシャンさんははにかんだ。
シャンシャンさんは中国で8歳のときにお見合いをし、結婚した。ご主人は同い年でシャンシャンさんの父のリーリーさん(24歳)にどことなく外見も性格も似ていて、会った瞬間に運命だと感じたそうだ。その後、シャンシャンさんは双子の男の子を出産した。
男の子たちはやんちゃで最初は慣れない育児に悪戦苦闘したそうだが、シャンシャンさんは持ち前のパワフルさを発揮し、子育てをしたそうだ。その子たちのひとり立ちを機に日本へ帰国することを決めた。