「そろそろシャンメリーを注文しないとでしゅね。ネムネム…」
上野シャン子ことプミは、洞窟の屋上で大きなあくびをする。
最近にんげん達が作ってくれた、お気に入りの場所だ。
プミの周辺には空になったシャンメリーの空き瓶が2本転がっている。
初冬の澄んだ空気の中、太陽は真上に近づいていた。
「ええと、確か今は”へそ天市場”がセールやってまちたね」
のっそり起き上がり、その辺に無造作に置かれていたスマホを手に取る。
りんご柄のスマホケースは、一学年後輩ピキからの誕プレだ。
ピキいわく「先輩が使ったってことでプレミアつくから。それ売って次のスマホ買えるし、丁寧に使うんやで」とのこと。
プミにはよくわからない、世の中の仕組みだ。
幼い頃からピキに導かれながら、二人で”せけんのあらなみ”を乗り越えてきた。
「モーマンタイでしゅよ、ピキしゃん」
スマホは今のところ無事だ。
ひとりごちた時、ちょうどPINEの着信音が鳴り始めた。
『〜🎵』
スマホの画面には「シャオ」とある。実家の上野に住む、プミの弟だ。
緑色のボタンを押すと、画面の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。
「もしm」
「「ねえね!」」
プミの声を遮るように重なる声。妹のレイ子も一緒らしい。
双子の二人は何やら興奮しているようだ。
こんな時の双子パワーは並じゃないが、プミは自分のペースで鼻をほじりながら「はいはい。なんでしゅか?」と答えた。
(お話、長くなりそうでしゅねえ)
こう見えて案外面倒見の良い姉なのである。プミは、その辺に転がっていたスタンドにスマホを立てかけた。
画面に”ビデオ通話を許可しますか”と出てきたのでOKする。
「ねえね、あのねっ、じんじん検定!」
父親譲りのとんがり頭のシャオが、賞状を掲げている。
画面の半分に映るレイ子が「シャオ違うよ」とツッコミを入れた。
「じんじんじゃなくて、にんじんでしょ。ねえね、あのね。にんじん——」
「!? 」
「あっ、違うよねえね!にんじんじゃなくて、にんじん検定だよ!」
「キエー!!」
プミの頭の中はオレンジ色でいっぱいになり、こんらんした。
「オレンジ色のにくいやつでしゅ!!」
雅安に引っ越してきてからしばらく、食事がにんじんばかりになった。しかも一本丸ごと。
プミは訳がわからなくて悲しかったのだが、どこかで伝達ミスが起こったらしい。
ランラン姉は心から謝罪してくれた。
誤解が解けてからは、そのオレンジ色を目にすることはなくなった。
おりんごパラダイスで安寧の日々が訪れ、ようやくその存在を忘れかけていたのだが——
「キエー!許しましぇん!」
プミは首をブンブン振って、でんぐり返しを繰り返す。
その弾みでシャンメリーの空き瓶が転がって落下していった。
下は土なので割れることはないが、シャンメリー2本分が派手な音を立てる。
「ねえね落ち着いて!」
スマホの向こうから聞こえるレイ子の声は、プミにはもう届かない。
増量中のプミが洞窟の上をゴロンゴロン転がったり走り回っていると、やがてドスドスと地響き——ではなく、足音が聞こえてきた。
「シャン?何やってるの。すごい音がしたわよ」
パンダ専用の地下通路を使ってやってきたのは、母親のシンコだ。
洞窟を見上げて言いながら、ふもとで鼻をクンクンと動かしている。
「あらあら、このたけのこ・・まだ食べるとこがあるじゃない。ドウドウトパクリ、と。あっ、りんごも残ってるわね。ウフフ」
「かあしゃん、ゼエゼエ 」
母親の匂いに気づいたプミは、ようやく正気に戻った。
洞窟の上から、そのきょたいの背中を見下ろす。
「おりんごはプミのでしゅ」
「シャンちゃん・・・」
大きな口を開けたまま、シンコは「いいでしょ?」と伺うようにプミを見た。
幼い頃は有無も言わさず取り上げられたものだが。もっとも、シンコの言い分としては「子供にはまだ早かったからよ」ということらしい。
「かあしゃん。プミのおやつは食べちゃだめでしゅ。せっかく健康になったんでしゅからね」
「・・・。ああ、残念」
シンコは口元まで持っていっていたりんごを、ぽとりと落とした。
その様子から無念さが伝わってくる。
「アタシのおりんごさん。またね・・・」
名残惜しそうに土を払うとその場に置き、のしのしとスロープをあがってきた。
腰に巻いているパンダウエストポーチは特注品らしい。
「それで、シャンは一体何してたの?あら、電話から双子の声がするわね。はーい、ママよぉ」
『ママ!ママー!メエエ メエエ』
「あらあら。あなた達ったら甘えたさんね。さっき話したばかりでしょう」
スマホの前に座り、シンコはウエストポーチから笹の葉(カロリーオフ)を取り出した。
口寂しい時のために持ち歩いているらしい。
「シャン。この子たちのニュース聞いた? ムシャムシャ」
「ニュースでしゅか?」
プミはパンダドリルよろしく頭をブルブルと振った。
多少頭がスッキリしたところで、シンコの隣でパンダ座りをする。
「聞いてましぇんね。ニュースってなんでしゅ?」
『えへへへー』
画面の向こうで得意げな顔をしているのはシャオだ。
レイ子も口元に両手を当てて、嬉しそうな顔をしている。
『ぼくたち わたしたち 留学しまあす!』
ドンドンドン パフパフパフー🎵
おめでとう〜とスマホからSEが鳴る。プミもようやく理解して「おめでとう!ちみたち」と拍手を送った。
「さっそく祝杯でしゅね。・・・」
こんな時こそのシャンメリーなのに。在庫を切らしていることが心底残念なプミだった。
へそ天市場だと配送に多少時間がかかる。そうだパンダバイク便で注文でしゅ——プミがそう思った時。
”エッホ エッホ 伝えなきゃ 我が子におめでとうって 伝えなきゃ エッホ エッホ”
「あら。この声は…」
「かあしゃん、聞こえましゅよ。ネットミームが…近づいてきましゅよ」
母と娘はパンダ座りのまま、大きくて丸い耳をアンテナのように動かした。
スマホの向こうの双子達も、全く同じ動きで耳を動かしている。
『パパだ!わーい、パパー!』
シャオレイたちがはしゃいでいるうちに、エッホエッホの声は近づいてきた。
地下通路を過ぎ、父親の匂いがプミにもはっきりわかる。
「エッホ エッホ やあ、シャンちゃん。シンちゃんも来てたんだね。テレテレ」
洞窟のスロープを上がって、父親の力男がやってきた。
スマホに向かって手を振りながら、プミの左隣に座る。
『やあやあ。シャオくんもレイちゃん、元気だったかい。シャンちゃん、シンちゃんも』
「ええ、もちろん。変わりないわよ モグモグ」
「プミィ」
右隣には母親シンコ、左隣には父親の力男。
プミは少し窮屈ではあったが、両親のぬくもりが嬉しくもあり照れくさかった。
『パパー。ぼくたち、最初にパパに電話したのに出なかったから、ママに電話したんだよ」
『ゴメンゴメン。実はパパたちはもう前から知ってたんだよ。だから今日は急いで自宅に戻らなきゃと思ってね。有給とって飛び出してきちゃった』
力男はハハハと笑って、照れたように頭をクシクシとかいた。
『グループ通話もいいけど、こっちもみんな揃っておめでとうを言いたかったからね。シンちゃん——ママとも相談して』
『ママも知ってたの?』「かあしゃんも知ってたでしゅか」
双子の声に、プミの声も重なる。
シャオとレイは双子らしく、左右対称に顔を傾けた。シンコは笹を食べながら「ええ」と平然と言った。
「もちろんよ。あなた達にも、パパとママの故郷の雪を見せてあげたくてね。早く留学させてちょうだいってママ、偉い人に言っちゃったわ ウフフ」
『そうだったんだあ。雪かあ、楽しみだねえレイちゃん。あれ?レイちゃん?』
『ママ…どうしよう…あのね…』
レイ子はグスンと鼻をすすった。
「……」
プミは妹が言いたいことがわかってしまい、鼻の奥がツンとした。なぜなら自分も通ってきた道だからだ。
今頑張っている妹より先に泣くわけにはいかない。こっそり変顔をして涙を堪えた。
「あらあらどうしたの?レイちゃん。我慢しないで、ママに聞かせてちょうだい」
母親のシンコも当然、レイ子の気持ちを察したらしい。
父親の力男は黙って水筒のコップに笹茶を注いで、シンコに渡した。
『ママ…あのね、あたし…大好きなにんげんたちに「合格したよ!」って言いたかったの。でも、みんな寂しいって、あたしたち見て泣いてるの。あたしも寂しくなって…留学し…したくないよお…ずっとここにいたいよお…』
レイ子の黒い瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていく。
その様子を見ていたシャオも、グスンと泣き始めた。
『うう…レイちゃん…本当はぼくも上野にいたいんだ…みんなのことが…大好きだから…ぼくちんのこと…みんな、かわいいって言って笑ってくれてたのに…寂しいって泣いてるの…グスン…』
『シャオ。ほら、鼻かんで。毛についたらガビガビになるわよ…グスッ』
レイ子は鼻声のまま、オレンジのポシェットからポケットティッシュを取り出した。
シャオに手渡すと、自分も豪快に鼻を噛んでいる。
「ウンウン 君たちよく頑張ったねえ、いやすごく頑張ってるよ。パパは誇らしいよ。 グスッ」
何度も頷きながら、父親の力男も鼻を啜っている。
プミも当時の気持ちを思い出して、ズビビと鼻を啜った。
「あなたたち。本当に留学が嫌なら、ママが偉い人にお願いするわよ。取り消してくださいって。どうする?」
力男が持ってきていた竹をバキッと割って、シンコは画面越しに双子を見ている。
その迫力はまさに馬騎武者だ。
『えっ!本当?……レイちゃんどうする?ママがそう言ってるけど…』
「シャオ、自分のことは自分で決めなさい」
馬騎武者と化したシンコはぴしりと言った。
「レイ子とはずっと一緒にいられない。わかってるでしょう?あなたの人生なんだから、自分で決めていいの」
『ママ…ええと……ウン。ぼくは……やっぱり留学する。頑張って、ねえねみたいに勉強して、強くなって、また上野に戻ってくるんだ!』
『あたしも!』
シャオとレイ、双子たちの目に光が戻ってきた。
『あたしも留学する。お別れは寂しいけど…ねえねみたいになりたいもん』
「ちみたち…」
独り立ちから今まで、一人の夜を過ごしてきたプミ。何もかも手探りで、ゴールが見えずに辛い時期もあった。
でもこうして、弟妹たちが自分を目標にしてくれている。きっと歩んできた道は間違いではなかった。
「決めたのね!バキッ」
プミの声より先に、母親の力強い声。
シンコはウフフと笑って、満足そうに頷いた。
「一度は外を出て、知らない空気を吸ってごらんなさい。きっと視野が、世界が広がるわ。パン生がもっと楽しくなる。ね、リーくん。そうでしょう?」
「ああ。ボクもそう思うよ。君たちにはまだ色々な経験をしてほしい。そして、いずれは世界を代表する立派なパンダになってほしい。そしたらきっと、上野のみんなも喜んでくれる。シャンちゃんも頑張ったよね」
「とうしゃん…」
プミが見上げると、力男は大きく頷いた。
シンコの肩もろともギュウと抱き寄せられる。その力強さに後押しされて、プミも頷いた。
「わたくちもまだ修行中の身ではありましゅがね。この洞窟で、ちみたちを待ってましゅよ。お部屋もお庭も広いでしゅから、きっと気に入りましゅ。おりんごも大きいまま頂けましゅし・・グフッ ねえ?かあしゃん」
「ええ。たけのこもね。ママはダイエット中だけど・・・・・・」
ふっと遠い目をするシンコだった。
「グッフグッフ ちみたち、ちなみになんでしゅが。こっちにも、にんげんはたくさん来てくれましゅからね。ファンサ頑張るんでしゅよ」
『やったあ!ファンサだったら、ぼくちん得意だよ!』
「レイちゃんは、プル子ちゃんと食い倒れツアーにも行けましゅね」
『うん!プルちゃんと話したんだよ。おすすめのお店行こうねって。ロウロウちゃんも一緒に行くんだって。ああ楽しみ!』
「レイちゃん。そのツアー、ママも連れていってね? ジュルリ」
『もちろん!お金を払ってくれる人がいないとだもん』
「まあ。しっかりしてること」
『うふふ』
『ぼくちんも連れてってよ。レイちゃん』
『シャオはだめ。女子会なんだから』
『ええ〜ケチ』
『そうだ、シャオ。良浜おばちゃんの弟の、雄浜おじさんが、シャオが来ること楽しみしてるって、プルちゃんが言ってた。日本語が話せるから、手伝ってくれたら助かるって。弟子入りをお願いしてみたら?』
『そっかあ。弟子入りしたら強くなれるかな!よし、ぼく行ってみるよ!』
泣きべそだった双子にすっかり笑顔が戻った。
父親の力男は足元に置いていたリュックから、何やら取り出している。
「これこれ。日本式にお祝いしなきゃと思って、作ってきたんだよ。くす玉」
「あらあ懐かしいわね。上野で引っ張った思い出があるのよ。味はまあまあなのよね ウフフ」
「かあしゃん、くす玉も食べたんでしゅか?」
プミが見上げると、シンコはパチンとウインクをしてみせた。
力男の準備もできたようだ。行くよーと声がかかる。
「みんな準備はいいかい?割るよー、せーの!」
「「「シャオくん、レイちゃん、留学おめでとう!!!」」」
拍手の音と「おめでとう」の声が、雅安の豹子山に響く。
彼らが大好きな、美しい雪が降る季節はまだ始まったばかりだ。
2025/12/17
シャオシャオとレイレイに心からのエールを込めて
(お粗末さまでした。わいわい)
