俺の提出した書類に最後まで目を通した彼は、その視線を俺に向けてにっこりと笑った。
「さーっすが話が早い!んじゃ休園日の朝、掃除の後でガス管とコンロ引っ張ってきて…」
「却下」
「え?」
「却下、ですよ。リーリーさん?」
…マズい、笑顔なのに目は笑っていない。しかも今、わざと俺をさん付けで呼んだ。これはマズい気がする。
俺の肢体は本能的に硬直した。
「確かにパンダ舎は、あなた方の食事のために火の使用は許可されています」
「はい」
「ただし台所に限り、です。知っていますね?」
「はい」
「そして火元責任者は、僕です。知っていますね?」
「はい」
「部屋までガス管とコンロを引っ張って?たこ焼きパーティー?リーリーさん?あなたは僕をクビにしたいのですか?」
「…いいえ」
「今ちょっと間があった」
「いいえっ!」
…ヤバい、パンダも凍える氷の微笑だ。イコロとデアでさえも、暖をとる勢いの極寒だ。これはヤバい気がする。
俺の玉は本能的に縮み上がった。
「僕らの立ち会いのもとで、台所で焼くのなら許可するんだけどね…」
お?ちょっとだけ軟化した?
「台所じゃなくて、なぜ部屋で焼こうと思った?その理由によっては代替案を出してもいい」
「…シャン子の大事な友達が遊びに来るから。目の前で焼いてあげたら、キャッキャッて喜ぶだろうから」
「なるほどね…」
お?もう一押しでいけるか?
「シャン子も含めて…あの子達、日頃は父親と接する機会が少ないからさ。父親の姿ってものを見せたいんだ」
「そして“キャー♪シャン子ちゃんのパパかっこいいー♪”って言われたいんだ?」
「それな!」
「却下だ!」
「まったく…どうにかして見逃してやろうと思ったのに…」
退勤後の僕の第一声は、リーリーに対する愚痴だった。それは独り言のつもりだったのだが。
「それか、リーリーが櫓に突っ伏してブツブツ言ってたのは」
いつの間にか背後にいた同僚が、察した顔で苦笑している。まあ彼ならいいか、少し話に付き合ってもらおう。
「あいつ何て言ってた?」
「“釣られて俺はまた余計な一言を”って」
「釣ったんじゃない、鎌をかけたんだ」
「…分かるような分からんような」
「僕も男だからさ、リーリーが“娘に父親らしい姿を見せたい”って気持ちは分かるんだけど」
「うん」
「純粋にそれだけなら、ホットプレートという代替案を出してあげようと思ってた」
「見逃してやれるギリッギリの案だね」
「そう、ギリッギリ。だから念のために鎌をかけてみた」
「ああ…なんかもう想像がつく」
「“シャン子ちゃんのパパかっこいい♪”って言われたいのかって聞いたら」
「父性本能よりもオスの本能が勝ってしまったと」
「そういう事」
「…オスとしては気持ちは分かる」
「…僕も分かる」
そんな話をしながら園を出て、駅の前で同僚と別れた。
僕は今夜、駅の先にある電器屋に用がある。注文していた外付けハードディスクが入荷したと、連絡が入ったのだ。
「あ、ついでにコーヒーメーカーのカプセル買っとくか」
先に軽い物を買っておいた方が楽だ。電器屋に着いた僕は、まずは調理家電のフロアを目指した。
「リーリーさん起きてますか?そろそろ、たこ焼きの準備を始めないと」
ああ、ついにタコパの日が来てしまった。妻と娘には“俺が焼く”と言ったものの、それは涼しい部屋へガスコンロを持ち込む事が前提だった。
それが…寒冷地仕様のパンダの俺が、あの蒸し暑い台所で火を扱うのか。想像しただけで汗が流れてくる。
「…ひとっ風呂、浴びてからでもいい?」
「分かりました。今日は可愛いお嬢さん達が来ますもんね、小綺麗にしときたいですよね」
「…まあ、ね」
「でも、早めにお願いしますね。僕ら先に準備を始めておきます」
彼はぺこりとおじぎをして、軽やかな足取りで立ち去った。彼は今日も元気だ。その若さが羨ましい。
「…どっこいしょ」
俺は意を決して櫓を降り、できるだけ深く水に浸かった。しっかり水を含ませるように、時間をかけて念入りに体毛を逆なでする。
「リーリー!リーリー!まーだー?」
もう一人の元気者が、俺を呼んでいる。行きますか、行かねばなりませんか、行かねばなりませんね。
「今行くー!」
俺は勢いをつけて立ち上がり、体を振りもせずに部屋を出た。
「え、やっだリーリー!びっしょびしょじゃん!どうしたのよ」
「気化熱で熱中症対策」
「熱中症対策?あー待って待って濡れたまま台所に入らないで!て言うか台所に用事ないでしょ?」
「たこ焼き焼くんだよ、俺が」
「もう部屋に材料とホットプレート出してあるよ」
「ホットプレート?」
「“新品だから傷をつけるな焦げつかせるなってリーリーに言っといて”って言われたからね、確かに伝えたわよ」
「え?」
「ほらほら、今ちょうど小雅ちゃん達が来たところだから急いで!2号室2号室!」
「お、おう…?」
台所を素通りさせられた俺は、そのままバックヤードを経由して2号室への扉を目指した。
「薄暗いな、休園日だから消灯してるのか…って!うわっ!」
ばああああん!
「パーパー!まーだでーしゅかー!」
そりゃ薄暗いはずだ。俺の娘が扉によじ登って、全身で鉄格子を塞いでしまっている。
…全国の父親の皆さん。朝イチに見た娘の姿が大の字おっぴろげって、どう思います?ぎょっとしますよね。
放飼場の櫓から見た事は何度もあるけれど、この至近距離では正直キツい。俺は思わず両手で目を覆った。
「こらシャン子!そこに登らない!そこにいたらパパ通れない!」
「あいっ!」
ガチャガチャガチャガチャ、ぽてっ。
娘が扉から離れた音を聞き届けて、目を覆っていた手を離すと、扉の鉄格子の向こうにハンモックが見えた。
ハンモックの上で、小雅ちゃんと初対面のコトちゃんが、きょとんとした目でこちらを見ている。
「い、いやーようこそようこそ!おじさんカッコ悪いとこ見られちゃったなーあははー」
ポリポリとこめかみを掻いて気づいた。俺、まだずぶ濡れだ。少し後ずさって大きく体を振り、改めて扉を開けた。
「おじさんこんにちは!お邪魔してます」
「こんにちは小雅ちゃん、コトちゃんは初めましてだね」
「初めまして、コトです!」
ああ良かった。コトちゃんはオスの大人パンダは初めてだろうから、怖がらせてしまうかなと心配していたんだ。
ほっと胸をなで下ろして一呼吸。室内に足を踏み入れて…。
俺は、絶句した。
後半は手直ししたい部分がありますので、需要あれば来週投下いたします
リーリー主役、うれしい!続き、ぜひぜひお願いします!!
>>598
続き待ってまーす!
各飼育員さんのセリフで誰か想像がつくwww
お話ありがとう!
飼育員さんにリーリー、小雅、コトちゃん、シャン子とみんな詰まってて楽しい!
後半のお話が待ち遠しい!
お願いします。続き読みたいでしゅ。
ありがとうございます!
楽しみに待ってます
リーリーと飼育員さんの会話が面白いよね
作家さん続き待ってます
面白い!続き楽しみにしてるー!
父ちゃんと某飼育員さんのやり取りが最高www
続き楽しみ!
そして、おかえりなさい!
コラにSSにいながわしゃんこに、ありがとうございます
ありがとうございます
後半も楽しみ!