長文SSにつきご注意ください
いつもと変わらない夜。初冬の動物園は静寂に包まれていた
「まったく、櫓が小さくてかなわん」
愚痴を言いつつ相好を崩す父パンダだ
近頃は夜の大運動会も減ってきた。満腹で母娘大人しく寝ているのだろう
むすめのお気に入りだった櫓の上で耳を澄まして、愛する妻子の姿を想像したときだった――ガリガリと地面を削るような音。
急いで櫓を降りながらパンダにはわかっていた。これはおそらくあれだ
「ホッ!ハァッ!」
気合いの入った声と同時に、仕切られた扉が上がる
勢いが良すぎた反動で、下りてきた扉がつまの背中に当たったがそんな事を気にする彼女ではない
軽々と片手で扉を押し上げ、颯爽と夫の部屋に入ってきた
「ビーリー起きてた?私ね、目が覚めたらとってもおなかがすいてたの」
「とうしゃん!こんばんしゃんー」
つまを追い越してどしーんと体当たりしてくるむすめ
小さな櫓に上がり、さっそく父パンダの背中にジャンピングアタックだ
「ちゃんとお風呂入ったでしゅ?」
「おう、しっかり洗ったぞ。笹の葉オイルもたっぷりな」
「あい。いいにおいでしゅ。とうしゃんはきょうも木登りしてたでしゅね」
「お、重い……大きくなったなあシャン子」
昨日も同じような会話をしたが、むすめは日々成長している
ぱぱ、まま、と呼ばれていたのに、ある日とつぜん「とうしゃん、かあしゃん」に変わった
愛しいおしゃまなむすめ間もなく巣立ちのときがやってくる事を、誰に聞いたわけでもなく親パンダ達は知っている
父は思わずグスンと鼻をすすった
隣で上手にパンダ座りをキメたむすめは、どこか得意気な顔で父を見上げた
「あのね!とうしゃんっ、あのね!シャンねっ、えらいって!」
「そうだぞ。シャン子はえらいっ」
「違いましゅ。しいくいんしゃんがほめてくれたんでしゅよ。ねぇ、かあしゃん」
「……」
「かあしゃん?……ねぇ?ままー」
「シッ。やっぱりどこかにあるのよ……」
吟味していた竹を放り投げ、クールビューティーなつまは我関せず鼻を鳴らしていた
「今日も残ってるわ」
キラリと光るつまの瞳
無言でぐいぐいとおれの鼻先に迫ってくる
「うぉっ」
「あら?笹の葉オイルの香りね。だったら……あの木の上かしら?」
彼女は方向を変え、スタスタと奥の部屋へ歩いていった
「……」
つまよ。それはおそらくおれの夜食だ。まあそんなことはいいとしてだな
もっとこう、落ち着いて夫婦の会話とか――
(そうだよなあ……夫婦なんだよなあ。でへへ……)
「とうしゃん。ニヤニヤしてましゅね」
落ちていた枝でシーハーしながら俺を見ているむすめ
体も大きくなり、笹も食べるようになった
「シャンは今日もおるすばん頑張ったんでしゅよ。もうお姉しゃんでしゅ」
「ああ、頑張ってたな」
知っている。壁の向こう、おれ専用の櫓や時には木の上から見ているからだ
目を覚ましたむすめが母のぬくもりを恋しがって歩き回る姿
にんげんたちが入れ替わりやってきては心配そうにむすめを観察している
父パンダには何もしてやれることがない。その日まで、せめて見守ることしかできない
「シャン子。ぱぱとままは、世界一おまえを愛しているからな」
ぽんぽんと頭を撫でてやれば、むすめはえへへと照れくさそうに笑った
「あい。知ってましゅ」
「よし、それなら安心だ」
「どうしてでしゅ? あ!かあしゃんー帰ってきた、ままー」
すかさず駆け寄るむすめ
彼女らは鼻先で挨拶をして、つまは俺の前にぽとりとリンゴ(の欠片)を落とした
「ちょっとビーリー。シャン子に変な事教えないでよ?」
「お、教えてましぇん」
何も悪いことをしていないのにドギマギしまう
リボ払いがバレちまったか?おそろしん――
「とうしゃん、シャン子のまねしてるでしゅね」
キャッキャとむすめとつまにまで笑われてしまった
「うう」
「ほらビーリー。頭を抱えてないで、取ってきてあげたわよ。残ってたおやつ」
「……。小さいな」
「気のせいよ」
戦利品の人参を食べながらウフフと輝くように笑うつま。隣に座るむすめも大きな葉を片手に、折った茎を器用に食べている
「シャンはこの葉っぱが好きなんでしゅよ。くきの歯ごたえが”おつ”なんでしゅ」
「人参も食べなさい、ママの少しだけあげるから」
「いらないでしゅ」
「美味しわよー?あーんして」
「いー!」
小さな歯を食いしばって、そっぽをむくむすめが可愛い
きかん坊なところは小さい頃のつまに似ているな
ぷグッと笑った夫をひと睨みし、あきらめたらしいつまは「はぁ」と大きくため息をついた
「私の言うこと聞かなくなってきたのよ…」
「そうか」
よしきた。ここはひとつ。父としてがつんと言ってやらねば
「シャン子よ。とっておきのリンゴをやろう」
「りんごしゃん!」
「……ビーリー?あまり甘やかさないでちょうだいね?……バキッ」
「ひゃい!」
静なる迫力に声が裏返る夫パンダなのであった
「モグモグ……この笹もうフレッシュじゃないわ……ねえ、この頃わたしのおやつが少ないのよ。あっという間になくなるの」
「そうなのか?」
それこそ気のせいか、一度に食べるからだろうと言いたかったが、つまは突然腹を立てるのでやめておいた
「ほらよ。後で食おうと思ってたんだが」
隠し持っていたリンゴを二つに割り、ひとつをつまに差し出すと輝くような笑顔をみせてくれた
「ありがとう。ビーリーは昔から頼もしいわ」
「お、おう…。ほら、シャン子も食え」
「ありがとうでしゅ。でも、とうしゃんにあげるでしゅ」
「? 食わないのか?」
「シャンは、小さいのがいいんでしゅよ。大きいのはとうしゃんにあげるでしゅ。とうしゃんは大きいでしゅからね」
「……そうか。ありがとうな」
鼻先で礼をすると、むすめから喜びの(?)パンダパンチを顔面にくらった
痛え。
時折理不尽な目に合うがこれも親の役割だ
こうして、つまからもらった欠片はむすめへ
夫婦も半分ずつのリンゴを食べ始めた
「うまいな」
「おいしいわねぇ。シャン子はりんごは食べるのよね」
「あい。りんごしゃんすきでしゅ。あっ、でも、いちばんしゅきなのは――」
やがてつまとむすめは部屋へ戻っていった
扉は上がったまま。明朝にんげんたちが来る前に直しておかなくては。大工のリーちゃんとはおれのこと
ああ、でも今は眠い。むすめからもらった言葉は一生の宝物だ
つまもきっとそう思っているだろう
再び小さな櫓の上で横になり、この何気なく幸せな日々がずっと続いてほしいと願う父パンダだった
(おわり)
長文失礼しました
パンダ親子の夜のおとぎ話、泣けたわ( ;∀;)
シャンさん、父ちゃんともこんな風に接する事ができたらいいのにな
場面が想像できて、とても感動しました。
有難うございます!
素敵なお話ありがとうございます。
読んでいたら自然にニコニコしていました。
>>275
どうもありがとうございます。
なぜかしら、ハードボイルドを読んでいる気持ちになりました。
『ロング・グッドバイ』を読んでいた時を思い出しました。
成長するムスメを見守る夫婦の姿、ジーンときました
シンシンなら本当に怪力で扉あけそう
素敵なおはなしありがとう