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パンダ今昔物語 ~梅梅と永明~(前編)

永明さんのお誕生日に向けて私の永明愛が炸裂してしまい、とても長い話になりました。
すみません。
読んでいただける方には、お時間のある時にゆっくり見ていただけると幸いです。
(今昔)

パンダ今昔物語 ~梅梅と永明~

今は昔…
青い空と海、緑の美しい白浜の地に、21年前、美人で気立ての良い女子パンダがやってきました。
梅梅というそのパンダは、お腹に小さな命を宿し、出迎えた歓迎の人波にも驚きもせずに差し出されたリンゴをぱくりと食べました。
白浜の地には、永明というパンダが花嫁を待っていました。
一緒に来日した婚約者の蓉浜をなくし、何年も一人ぼっちで、永明はずっとずっと仲間の訪れを待っていたのでした。

1.プロローグ

『お母ちゃん、蘭宝くんが来たよ』『こんにちは、梅梅叔母さん』
足元の雲の隙間から地上を見ていた梅梅さんは、若々しい青年達の声に振り返りました。
抜けるような青空に浮かぶ白い雲の上、2人のパンダの青年がにこやかに立っています。
『ああ、福浜。蘭宝くんも来たんやね。ほら、ここからお父ちゃんがよう見えるよ』
梅梅さんが場所を譲ると、福浜と蘭宝は楽しそうに雲の隙間から地上をのぞきました。
2人が見下ろす地上は、9月の陽光が降り注ぐ秋の色。
その景色の中で、彼はのびのびと手足を伸ばして眠っていました。
面長の顔立ち、長い手足、腰の辺りにはピョンピョンと跳ねる寝癖。そして穏やかな、のんびりとした優しい表情。
この春に白浜から中国に戻り、今日、31歳の誕生日を迎えた永明さんでした。
『永明さん、今日はこれから日中合同の誕生祭やて。すごいなぁ…誕生会でもイベントでもなく、誕生祭、やで』
梅梅さんの言葉に、福浜と蘭宝はうんうんと頷きました。
福浜は、梅梅さんが白浜に来て4度目の出産で生んだ幸浜の双子の弟で、1日しか地上にいられなかった息子。
正式な名前はありませんが、パンダファンの間では幸福の双子との祈りをこめて福浜と呼ぶ人もいるのです。
蘭宝は、梅梅さんの双子の姉の蜀蘭さんの息子で人工授精で生まれ、10歳の時にお空に来ました。
人工授精の父親は永明さんなので、福浜と蘭宝は、ここ、お空の上で兄弟として仲良く過ごしているのでした。
2人とも、容姿は永明さんにそっくりです。
『お父ちゃんは、日中友好の架け橋なんだね。たくさんの子供を作って、健康で長生きして、英雄として故郷に帰って。すごいね!』
蘭宝は、実際には会ったことのない父を尊敬の眼差しで見つめて嬉しそうです。福浜も頷きます。
その2人の様子に、
『そうやねぇ…。でも、私が初めて会った時の永明さんは…うん、英雄というよりは…ねぇ』
梅梅さんは意味ありげに言葉を切って、コロコロと笑い出しました。
『ええ、お父ちゃん、どんな感じだったんですか? 教えて梅梅叔母さん』
『僕も詳しい話が聞きたいな。教えてよ、お母ちゃん』
福浜と蘭宝にせがまれて、目尻に浮かんだ笑い涙をちょっと拭くと、
『そうやね。そしたら話そうか。
…私が中国から日本の白浜の飛行場に降り立ったのは、13年前の七夕やった。そりゃもう歓迎されたもんや』
梅梅さんは雲の上にも広がる青い空を見上げ、優しい声で昔話を始めました。
『私は翌月に6歳、永明さんは2か月後に8歳になる年やった。…永明さんは婚約者の蓉浜さんに先立たれて、3年も独りで暮らしていたんや…』

2

2000年7月。白浜。
ごろーーーーん、と転がった細身の体から、びよーーーーん、と宙に投げ出された長い長い手足を、梅梅さんはあっけにとられてただ眺めました。
『いや~、なんて美人さんなんやろ。なんて可愛らしい、素敵な女性が来てくれたんやろ。僕は嬉しい! もう未来はバラ色や!』
ごろーん、ごろーんと転がる白黒の物体からは、そんな浮かれた声が発せられています。
(どんだけ有頂天なの。そんな転がったら顔も見えないじゃないの。頭はどこよ?)
梅梅さんが柵越しに婚約者候補となるはずの彼を見定めようと目をこらしていると、永明さんは突然、すっくと立ち上がりました。
『どうも、初めまして。永明です。梅梅さん、長旅の疲れもまだ取れてへんでしょう。
ここは中国の施設と違って小規模やけど、スタッフはみんな熱心やし、僕らパンダのことを一生懸命考えてくれてます。
不安なことがあれば、いつでも言うてくださいね!』
『…あ、はい。ありがとうございます。私は梅梅です。これから、よろしく…』
梅梅さんが慌てて挨拶すると、永明さんの顔がまた、ふにゃ、とゆるみ、
『わぁ~、声も可愛らしい、なんて素敵なお嬢さんなんやろ! 嬉しいなぁ、こんな素敵なひとがお隣にいるなんて嬉しいなぁ~!』
今度は柵の向こうで行ったり来たり、嬉しそうにルンタッタと歩き回っています。
またその歩き方の独特なこと。長すぎる手足をしならせるように、持て余すように振って歩くのです。
なで肩の体形も、長い鼻もこれまた独特で、とにかく、一目見たら忘れられない不思議なパンダのオスだと梅梅さんは思いました。
(あの長い足…歩く時に絡まってしまいそう。こんなひと、中国でも見たことないわ)
でもとても優しそうだし、ここまで喜んでもらえて悪い気はしない…それが、梅梅さんの持った第一印象でした。
(でも……)
嬉しいなぁ、嬉しいなぁと言い続ける声を柵越しに聞きながら、梅梅さんは笑顔の下でそっと自分のお腹を手でさすりました。
(でも、このことを知ったら…このひと、どう言うのかしら…)
こうして、2人の出会いとその後の大家族へ道のりは、永明さんの喜びの舞いと、梅梅さんのまんざらでもない気持ちと、ほんの少しの不安の中で始まったのでした。

3

「梅梅、具合はどう? 少しはここに慣れたかな」
永明さんとの出会いから少しして、バックヤードで休んでいた梅梅さんの元に、パークの女性獣医さんがやってきました。
この先生は、白浜の空港で梅梅さんにリンゴを差し出してくれた人です。それをすぐにぱくりと食べた梅梅さんに、
「あんた、肝が据わってるね!」と目を丸くしていたのを覚えています。
『あら先生、おかげさまで快適に過ごしてます。あの時のリンゴは美味しかったわ』
梅梅さんが答えると先生は声をあげて笑い、それから慌てて口を抑えました。
「いけない! 私が来てることを永明に知られたらまずいんやわ。
あの子、私の足音や声が聞こえたら美味しいものを持ってきたと思って、飼育員があげる竹を食べなくなるのよ。
2歳にもならない頃から、私が甘やかして育てたもんだからねぇ…」
『まぁ、そうなんですか。永明さんはグルメなんですね』
「あはは、あれはもうグルメなんて可愛いもんじゃないけどね。それでも…永明に元気に育ってほしかったのよ。体の弱い子だったからね。
それで、梅梅の調子はどうなの? お腹の方は順調そう?」
自分の体調に話を振られて、梅梅さんはまた自分のお腹に手を置きました。
『ええ、問題ないと思います。…あの、私達パンダのメスが本当に妊娠してるかどうかは、自分でも分からないところがあるんですけど、今回は、きっとお腹に子供がいると思うんです』
「それは良かった。必要なことや、ほしいものがあったら何でも言ってね。…っと、ああ永明が気付いたわ。それじゃあ、またね」
先生の話し声が聞こえたのか、その時、室内運動場にいる永明さんがメェ~♪と鳴き始めたのを潮時に話は終わりました。
そうです。
梅梅さんのお腹には、その時すでに新しい命が宿っていたのでした。
それはまだ梅梅さんが中国にいる頃。発情が始まった梅梅さんは日本に来る前に人工授精を受けました。
その命は、飛行機での長旅も環境の変化にも耐え、梅梅さんのお腹ですくすくと育っている…と思うのですが、本当の所はまだ分かりません。
(でも、きっとここにいるはずね、赤ちゃん。私の赤ちゃん。あなたは強い子ね)
心で話しかけながらお腹を撫でると、幸福感に全身が包まれるようです。
だけど同時に、少しだけ不安もあります。
梅梅さんも、自分が永明さんの花嫁候補としてここに来たことは知っています。
動物の世界では、他のオスの子を身ごもったメスは、繁殖に焦るオスの怒りを買うことすらあると梅梅さんも本能で知っています。
いくら優しそうな永明さんでも、決して喜んでくれるようなことではない…梅梅さんはそれが不安なのでした。

4

その夜。
バックヤードに帰ってきた永明さんに、梅梅さんは思い切って打ち明けることにしました。
『あの、永明さん、お仕事お疲れ様でした。今、ちょっとよろしいかしら』
『もちろん! 梅梅さんとお話できるなんて、僕はなんて幸せ者なんやろ。何でも言うてください』
飼育員さん達が選びに選んだ竹をポイポイと投げ捨てながら、永明さんはニコニコと梅梅さんの方に向き直ります。
『あのぉ…私、永明さんと出会えて本当に嬉しいんです。そして、私も繁殖のためにここに来たのはよく分かってるんです。
ただ、あの…私、今、お腹に…お腹に、あの、赤ちゃんがいると思うんです!』
そこまで言ってうつむいて、
『だから…私、今すぐに永明さんとすぐに結婚するわけには……』
失望するか、もしかして怒り出すのでは…そう恐る恐る顔を上げた梅梅さんが見たものは。
『わぁ、赤ちゃんが生まれるんや!! それはそれは、おめでとうございます!!』
パァァ…ッ!と顔を輝かせて笑う永明さんでした。
『それは楽しみやなぁ! 梅梅さんのお子ならさぞかし可愛いやろ。この白浜でちっちゃな子パンダが走り回って遊ぶ姿が見られるなんて!
ええと…生まれるのんは秋かなぁ。準備万端にしておきましょうね。ベビーベッドにおもちゃに、遊具…は気が早いかなぁ』
『はぁ、あの、子供はですね、人工授精を受けたものですから、それで…』
『ああ、そうなんですか。成都のスタッフが選んだなら、優秀なオスが父親ですやろ。きっと元気なお子が生まれますなぁ!』
『…申し訳ありません、永明さんも自分の子供がほしいでしょうに』
『いやいや、そんなん、いくらでも待てますわ』
永明さんは軽く手を振り、無邪気な笑みを浮かべました。
『僕はもう、長いこと独りぼっちで寂しい時間を過ごしてきたんです。もう何年も。
いつかこの白浜に仲間が来てくれる、また誰かと一緒に暮らせる日が来るはずやと、それだけを楽しみにして。
それが、こんな素敵な女性が来てくれて、しかもすぐに可愛い赤ちゃんまで見られるかもしれないなんて、こんな幸せなことはありません。
さぞかし賑やかで張り合いのある毎日になるやろなぁ。ほんまに、それは何より嬉しいことなんです』
(…このひとは、嫉妬する、ということはないのかしら…)
自分の結婚も自分の子供も後回しになったのに。梅梅さんは、柵の向こうでウキウキと踊り出しそうな永明さんを見ながら驚くばかりです。
『ありがとうございます。永明さん。私、きっと元気な赤ちゃんを産んでみせます』
そう言って、梅梅さんは深々と頭を下げました。

5

夏の日差しが強さを増し、セミの合唱が木陰に響き渡る頃。
開園前の朝の涼しい時間に、梅梅さんは外の運動場の芝生に飼育員さんと向かい合って座り、何やら講義を受けていました。
「はい、では、関西弁で“ありがとう”は、“おおきに”。リピート・アフター・ミー、おおきに」
『おおきに!』
「次は、少しディープになります。和歌山弁で、“とても”は、“やにこー”。リピート・アフター・ミー、やにこー」
『やにこー!』
「はい、では、和歌山弁で“一緒に行こう”は、“つれもていこらー”。リピート・アフター・ミー、つれもていこらー」
『つれもていこらー!』
飼育員さんの言葉を真剣にリピートする梅梅さんを、隣の運動場で散歩していた永明さんが感心したように二度見しました。
『やぁ、おはようございます、梅梅さん。日本語の…というよりこっちの方言のお勉強ですか』
『おはようございます、永明さん。ええ、郷に入っては郷に従えと言うでしょう。お腹の子はきっと関西弁ネイティブに育つでしょうから、私も慣れないと』
『それはまた、馴染もうとするお気持ちに頭が下がります。今いる場所で咲く花ですなぁ』
『いいえ、皆さんに受け入れていただいて、こちらこそ。どちらへか~!』
『あはは、そこまでディープな和歌山弁は、僕でもよう使えまへんな』
2人は笑い合い、それから永明さんはしみじみと、
『梅梅さんは、明るい女性なんやなぁ。笑顔が太陽のようや。だいぶこちらの環境にも慣れて、本来の梅梅さんの性格が出てきたんですな』
『あら、そうかしら…でも確かに私、元々は楽天的な質ですの』
そういえばここに来たばかりの頃は、もっと消極的で細かいことが気になっていた…と梅梅さんは改めて思いました。
故郷では大胆豪快と言われた梅梅さんも、まだ若い乙女なのです。慣れない環境で、少しは肩に力が入っていたのかもしれません。
『きっといいお母さんになられるでしょうなぁ。お母さんは、家族の明るい太陽や。そしたら、お勉強頑張ってくださいな』
そんな言葉を聞きながら、この優しい声と眼差しがそばにあったから、自分はこの場所ですぐに前を向いて歩きだせたのかもしれない…
梅梅さんはそう思うのでした。

6

その夜、梅梅さんは覚えた関西弁を披露して、永明さんをたくさん笑わせました。
『梅梅さんはほんまに勉強熱心やなぁ。そういえば、体調の方はどうですか。あまり根を詰めるのもいけませんよ』
『とても順調ですの。獣医の先生にも見てもらってますし…そうそう、あの先生は、永明さんのことを昔から知ってはるそうですね』
『ああ、先生にはほんまにお世話になってます。僕と蓉浜を中国まで迎えに来てくれてからの長い付き合いですねん』
『ようひん…さん? ああ、あの、ちょっとお話は聞いてます。前の奥さま…ですよね?』
梅梅さんの言葉に、永明さんは小さな吐息をついたようでした。
『…奥さん、ではないんです。幼馴染で婚約者で…僕ら、ずっと一緒にいたんです。
蓉浜は明るくて、お転婆で、可愛らしくて、まるで芙蓉の花のような美しい女の子で…』
(…えっと。私、のろけ話を聞かされてるのかしら?)
他のオスの子を妊娠中とはいえ、自分は永明さんの婚約者候補なんだけど…と思いながら聞いていた梅梅さんは、続く永明さんの言葉に驚きました。
『そやのに蓉浜は、病気でなくなってしまったんです。まだ5歳にもなってなかったのに…』
『え、そ、そうだったんですか…! ごめんなさい、私、相性が合わなくて故郷に帰られたのかと…
ほら、私達って友達としては良くても、繁殖の時になるとどうしても合わないってことがありますから…』
『ええ、でもその年齢までも生きられなかったんです、蓉浜は…。そやけど僕は、どんな形でもいいから蓉浜と一緒にいたかった。
ここでずっと2人で寄り添って生きていけると思っていたんです…』
その声が涙で湿っているのを、梅梅さんは胸を締め付けられるような気持ちで聞きました。
『僕は子供の頃は体が弱くて、消極的で…そんな僕を蓉浜はいつも励ましてくれました。そんな蓉浜が先に行ってしまうなんて…
蓉浜は、あの頃の僕の世界の全てやったのに…』

(…このひとは、とても愛情深いひとなんやわ…)
思わずつられて涙ぐみながら、梅梅さんはそう思いました。
(そして嫉妬なんて感情からは遠いところにいるんやわ。
愛情が溢れるほどあって心が広くて、嫉妬や独占欲や…そんな小さな感情は、大きな愛情の前には消し飛んでしまうんやね。
きっとこのひとは、私のことも、これから生まれてくる他の父親の子供も愛で包んでくれる。そういうひとなんやわ…)
『永明さん、蓉浜さんのことお話してくれておおきに。私も蓉浜さんに会ってみたかった。きっと素晴らしい女性やったと思います』
『ありがとうございます、梅梅さん。あなたのような女性に出会えて、僕はなんて幸せ者なんやろ』
夏の空に輝く星が見守る2人の会話は、その夜、いつまでも長く続いていました。

そして。
夏の星座の位置が天空で動き、昼間の蝉時雨が、夜の鈴虫やコオロギの声に変わる頃。
梅梅さんは、元気いっぱいの可愛い赤ちゃん、小さな良浜を産んだのでした。

(後編へ続く)
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